努力と我慢は違うんだよ
生徒を見ているとね、
努力=我慢
と勘違いしているような人がいる。
そうじゃないんだ。
この違いを僕は、君に伝えたい。
例えば、プロ野球選手になりたい人がいる。
その人が、必死に練習することを、
努力という。
食事の制限をしたり、辛いトレーニングにも、耐えなきゃいけないことも当然あるだろうが、
必要だから、やれる。
必要だから、耐えられる。
夢や目標に向かって積み重ねるすべての過程が、努力なのである。
ダイエットとかでもそうか。
こういう体型になりたいという目標や理想があって、そのために
必要だから、運動して
必要だから、大好きな甘いものも抑えて、理想に近づこうとする。
それが努力なのだ。
じゃあ、我慢は?
確かに、野球で辛いトレーニングを"我慢"しなければならないかもしれない。
確かに、ダイエットで、食べたいものを”我慢”しないといけないかもしれない。
そう。
努力と我慢というのは、その過程自体には大差はない。
しかし、努力が報われるという言葉はあるが、我慢が報われるという言葉がないように。
我慢には、その先がない。
我慢は、その過程が今後意味を成すものにならないのである。
誰かに言われるがまま、「やりたいことをやらせてもらえない」「なんこんなことしないといけないんだろう」そんなことを感じながら、何かに打ち込むことは、つらい。
スポーツも、勉強も。
受験直前で
最後の最後まで踏ん張りが効かない受験生もいるが、その子にとって受験勉強は”我慢”することなんだろう。
高校に行きたいとか、勉強ができるようになりたいとか、そういう思いより、ただただ我慢しないといけないものだと思ってるんだろう。
勉強に関して言えば、
僕は努力してほしいとは、思っているが
我慢してほしいとは、思わない。
そこを勘違いしてほしくないな。