宗教みたいと言われた塾
エイメイが、かつて宗教みたいな塾と、言われる時代があった。
その宗教と言われる所以は、子どもたちの異様な『エイメイ愛』であった。
エイメイが大好き、エイメイ生であることを誇りに思っていた人が多かったように感じる。それは、生徒も親も。
塾が好き。先生が面白い。
そんなことを子どもたちが言うのは、ある人にとっては信じがたく、ありえないことだった。
今はそんなことないのかなー。
自分の理解を超えた他者の強い所属意識を、人は宗教や洗脳と呼ぶのだと思う。
そんな事を言われたのは、僕がエイメイ生で中学を卒業する頃だろうか。
かと言って、していたことは、何ら不思議な事はない。
僕自身、精神論的な話を植え付けられたり、宗教観・政治観を教え込まれたりもしていない。
笑
先生が熱く授業をし、未来を語り、成績を上げる。
実績も半端ではなかった。
競争意識、仲間意識を高める仕組みと、教師陣の目標へのコミット。それが、地域で秀でてただけ、と当時を振り返った時僕は思うのだ。
それが周囲には理解し難かっただろう。
教師となった今。
生徒に何かを強いたり、僕の思いをぶつけることがある。
たしかに、それが押しつけになってはいけないし、変な思想の植え付けにならないよう、日々意識はしている。
しかし、思いをなしに僕たち教育者の存在意義はない。
子どもたちに熱く語りかけ、未来を見せ、導く。それが、エイメイの存在意義だと思うし、僕の存在意義でもある、と思っている。
それは、昔も今も変わらないだろうね。