不合格を出した塾講師へ
これは塾業界では、タブーかもしれませんね。
自分に対しての言葉なので、誰か個人に向けて言っているわけではありませんので、ご了承くださいね。
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不合格の生徒は、あなたのせいで落ちました。
あなたとその子を担当した講師陣全員のせいで落ちました。
あなたは決して安くはない塾の費用を、いただいてきました。
その責任、どう取りますか?
いいえ、あなたはこの合否という結果に対しては、何の責任も取れません。
この合否の結果も、進学先でどんな行動をし、それからどんな結果を出すかも、結局本人自身のもの。その生徒も、自分の力でまた走り出すしかありません。
もちろん、やるべきことはやってきたでしょうし、保護者にも納得してもらっているものですから、お金も頂いて然るべきですね。
けど、あなたの生徒は不合格でした。
その事実をどれだけ重く捉えていますか。
塾は、合格実績として晴れやかな合格した生徒たちを発表しますが、その影には多かれ少なかれ決して発表されない不合格の生徒がいます。
それがチャレンジ受験だとか、記念受験だとか、想定外の事態だったとかは一旦置いておきます。
子どもにとって、親にとって、もちろん我々教師も、
その子どもにかかわるすべての人にとって
不合格という結果は誰も幸せにしない、絶対悪なんです。
《早慶MARCHに入れる中学・高校》という本の中で
“我々、塾講師は不合格という生徒の屍の上に立っている”という著者の武川先生の言葉が強烈に印象に残っています。
屍とは不穏な表現ですが、その通りだと僕は思います。
「高校受験がすべてではない、入ったあとが大事だよ。」
この言葉は高校受験を専門にする先生の全員が言う言葉です。
これに僕も異論はない、当然入ってからの方がよっぽど大事です。
けど、塾講師がその言葉を不合格の免罪符のように使っては絶対にならないのです。
こういう僕も毎年数人の不合格を出しています。
その不合格を向き合うことは本当に辛く、この仕事で一番きつい瞬間でしょう。
でも、心に強烈に刻み込まないといけないものでもあるはずです。
どうも不合格を振り返った時、
「最後の追い込みで頑張りきれなかった」だの、「本気になるのが遅かった」だの
、「苦手から逃げてた」だのその子のせいにしている節が見られるときがあります。
が、当然そんな議論に意味はないですし、
本気にさせられなかった、塾講師のせいです。
これをもっと強烈に悔い改めないと。
塾講師歴が長くなればなるほど、1人の不合格の重みが軽くなっていくように感じます。
けど、生徒の人生にとってはたった一回の受験。
全員がちゃんと笑顔で報告しに来てほしいじゃないですか。
その気持ちは絶対に忘れてはいけないと思います。
不合格への責任は、これから担当する生徒に対して同じことを繰り返さないことでしか、返せないと僕は思っています。
同じところ受験する生徒が出てきたとき、絶対合格させる。
もし、その生徒の兄弟があなたの塾を選び受験をするのであれば、全身全霊で尽くすのが筋だと思います。
”屍”を越えて、未来の生徒たちへ。
それが、不合格を出した先生の責任。
なので、今日も、明日も、よりよい塾に。
もっと強い塾になろう、と日々研磨していくしかないのです。